【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#234 歌手・山本リンダの言葉

仲村瞳の歌謡界偉人名言集


作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。


苦しい時こそ自分が楽しめることを見つけるのが大事

『東スポ Web』(不死鳥・山本リンダは令和もとまらない! コロナ禍の充電期間経て再び羽ばたく!/2021年10月3日配信)より

現在、歌手生活55周年を迎えた山本リンダ。これまでに3度のブームが起こり、祖父母世代から幼稚園児世代までの4世代にわたって知名度の高い稀な歌手である。だが、その陰で数々の苦労を経験してきた山本。このインタビューでは、そんな山本の半生が詳しく語られている。1966年のデビュー曲「こまっちゃうナ」が100万枚を越える売り上げを記録。瞬く間に人気歌手の仲間入りを果たし、早くも1度目のブームが起こる。2度目のブームは、1972年に“可愛子ちゃん歌手”からセクシー路線へと大きくイメージを変えた「どうにもとまらない」に、続けて発売された「狙いうち」「狂わせたいの」「じんじんさせて」などが連続ヒットした時期である。セクシーな衣装に激しい歌とダンスで“アクション歌謡”の先駆けとなり、ピンク・レディーをはじめ、その後の歌謡界に大きな影響を与えた。しかし、1970年代後半から人気が低迷。今回の名言は、2度目のブームの後、ミュージカルやレビューなどの舞台、シャンソンに力を入れていた頃を振り返っての言葉である。

ヒット曲が出ず苦しんでいた時期も「舞台では、忙しい時にはできなかったしっかりした稽古、みんなで作り上げる楽しさを知りました」と振り返る山本。この精神性が表現者としての山本を磨き続け、国民的人気アニメ『ちびまる子ちゃん』(1990年放送開始)で取り上げられたことで90年代の3度目のブームへと繋がるのだ。2010年には、「どうにもとまらない」を、ロックバンド・9mm Parabellum Bulletや、韓流男性アイドルグループ・BIGBANGのD-LITEなどがカバー。次世代のミュージシャン達からも支持を得ている。「振り(ダンス)もそのままやり続けたい。シャンソンの第一人者・石井好子先生は86歳まで現役で歌ってらした。私もあと15年を目標にします」とこれからの音楽活動にも意欲を見せる。

「歌は口ずさむだけでも元気になります」と山本。以前、自宅に空き巣が入った時も、荒らされた室内を片付けながら、練習中だったフランス国歌「ラ・マルセイエーズ」を歌ったところ勇気が湧いたという話も明かしている。「みなさんもコロナ禍でも好きな音楽を歌って聴いて元気になってもらいたい。最高の薬になりますよ」と読者にエールを贈る。2022年1月26日には、自らが作詞したシングル「明日への翼」も発売。2月26日には、約30年ぶりの連続ドラマ出演となる『タベホの女~女3世代満腹日記~』(チャンネルNECO)の放送が始まる。4度目となる山本リンダブームを期待したい。


山本リンダ (やまもとりんだ)
1951年3月4日生まれ、福岡県出身。歌手、タレント、俳優。1962年、女性ファッション雑誌『装苑』の専属モデルに合格。ファッションモデルとしてデビュー。1965年、音楽番組『夢のセレナード』のカバーガールとなる。1966年、「こまっちゃうナ」でレコードデビュー。売上が100万枚を超える大ヒット曲となる。1967年、ニューヨーク、サンフランシスコなど全米6大都市で公演。『第18回NHK紅白歌合戦』で紅白初出場を果たす。1968年、コメディTV番組『てなもんや三度笠』にてドラマ初出演。1971年、特撮テレビドラマ『仮面ライダー』にレギュラー出演。1972年、アイドル歌手からセクシー路線へとイメージチェンジを図り「どうにもとまらない」をリリース。1973年、「狙いうち」が大ヒット。同年、『第14回日本レコード大賞』作曲賞、『第3回日本歌謡大賞』放送音楽賞、『有線放送大賞』夜の有線大賞を受賞。「狙いうち」は、高校野球や中日ドラゴンズなどの応援歌としても使われる。1982年、初の長期レビューショーを開催。1989年、シャンソンの祭典『パリ祭』に出演。1990年、テレビアニメ『ちびまる子ちゃん』の番組内で主人公のまる子が山本リンダのモノマネをしたことからリバイバルブームが起こる。2022年1月26日、シングル「明日への翼」(作詞:山本リンダ 作曲:池毅 編曲:猪俣義周)をリリース。現在もなお精力的に音楽活動を続けている。



仲村 瞳(なかむらひとみ)
仲村瞳(なかむらひとみ)
編集者・ライター。2003年、『週刊SPA!』(扶桑社)でライターデビュー後、『TOKYO1週間』(講談社)、『Hot-Dog PRESS』(講談社)などの情報誌で雑誌制作に従事する。2009年、『のせすぎ! 中野ブロードウェイ』(辰巳出版)の制作をきっかけに中野ブロードウェイ研究家として活動を開始。ゾンビ漫画『ブロードウェイ・オブ・ザ・デッド 女ンビ~童貞SOS~』(著・すぎむらしんいち/講談社)の単行本巻末記事を担当。2012年から絵馬研究本『えまにあん』(自主制作)を発行し、絵馬研究家としても活動を続ける。2014年にライフワークでもある昭和歌謡研究をテーマとした『昭和歌謡文化継承委員会』を発足し会長として活動中。
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