【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#242 ボーカリスト カルメン・マキの言葉

仲村瞳の歌謡界偉人名言集


作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。


負のエネルギーをいいエネルギーに変えることができるのが音楽なんです

『音楽ナタリー』(カルメン・マキ/デネシラって半世紀 孤高のボーカリストを50年以上にわたり衝き動かしてきたものとは?/2022年1月20日配信)より

2019年に音楽人生50周年を迎えた伝説的女性ロックボーカリスト、カルメン・マキ。同年には記念ライブが開催され、その模様を収めたBlu-ray作品『50th Anniversary Live~デラシネって半世紀~』が2021年12月15日にリリースされている。今回の名言は、2022年1月20日に配信されたカルメン・マキへのインタビュー記事からの抜粋である。インタビュアーは、特定のシーンに属することなく理想の音楽表現を追い求めてきたカルメン・マキを“孤高のボーカリスト”と表現。半世紀以上もの長きにわたり、マキを衝き動かしてきたものは何かに迫る。

その正体をマキは、「負のエネルギー」と端的に答える。「人生を送ってきて足りないもの、欲しかったけど得られなかったものや失ったものがいっぱいある」とマキ。音楽こそが「そういうものへの怒りや不満」といった“負のエネルギー”を“いいエネルギー”に昇華させることができると断言し、今回の名言につながる。「音楽がなかったら私は若い頃にグレてただろうし、とっくに死んでいたかもしれない」と振り返り、「自分を助けてくれるものがあるのなら、怒りや嫉妬みたいな感情を持っていてもいいと思う」と、正論ばかりが求められる現代の風潮に一石を投じる。「泣いたり怒ったりするのは悪いことじゃない。自分を助けてくれるものを見つければいいんです。負の感情を排除していたらロボットみたいになっちゃう。人と違う意見、突拍子もない意見を言う人がいたほうが世の中はもっと面白くなる」という彼女にロッカーとしての魂を感じる。

「私は音楽がずっと後ろに追いやられて、みんなが疲弊して楽しみがなくなっていくと世の中がどんどん悪くなっていくような気がするんです。だから細々とでもライブはやっていったほうがいい。ちゃんと予防しながらライブをやっているライブハウスには拍手を送りたいですね」というマキの言葉も、コロナ禍を生きる多くの人に届いてほしい。


カルメン・マキ
1951年5月18日生まれ、神奈川県鎌倉市出身。ボーカリスト、ミュージシャン。1968年、寺山修司主宰の劇団『天井桟敷』に入団。同年、新宿厚生年金会館での公演『書を捨てよ町へ出よう』にて役者として舞台デビュー。1969年、「時には母のない子のように」(作詞:寺山修司 作曲:田中未知 編曲:山屋清)で歌手デビュー。ミリオンセラーの大ヒットとなり「第20回NHK紅白歌合戦」に出場を果たす。個性派歌手として「山羊にひかれて」(1969年)「私が死んでも」(1969年)などヒットを続けた。1970年、ジャニス・ジョプリンに触発を受け、歌謡歌手からロッカーへの転身を表明。同年、近田春夫や立川直樹らとロックバンドのカルメン・マキ&タイムマシーンを結成。1971年、名ギタリスト竹田和夫率いるブルース・クリエイションとのコラボレーション・アルバムである『カルメン・マキ&ブルース・クリエイション』をリリース。1972年、ロックバンド カルメン・マキ&OZを結成。1974年、シングル『午前一時のスケッチ』でカルメン・マキ&OZとして再デビュー。1975年、ファーストアルバム『カルメン・マキ&OZ』をリリース。約10万枚以上の売り上げを記録し、当時のロックアルバムとしては異例の大ヒットとなる。特に、同アルバムに収録された楽曲「私は風」は和製ロックの名曲として人気が高く、中森明菜をはじめ多くのミュージシャンに歌い継がれている。1975年、ジェフ・ベック・グループとグランド・ファンク・レイルロードの来日公演のオープニング・アクトを担当。1977年、新宿厚生年金会館でのステージを最後にカルメン・マキ&OZは解散。1978年、ソロとしてシングル盤『私は風』をリリース。1979年、ロッド・スチュアート・バンドの一員でもあったカーマイン・アピスのプロデュースでソロアルバム『NIGHT STALKER』をリリース。1980年、ロックバンド カルメン・マキ&LAFFを結成。1986年、OZの初代ベーシストの鳴瀬喜博や松本孝弘らによるセッションバンド・うるさくてゴメンねBANDに参加。その後、出産と育児のため音楽活動を休止。1993年、音楽活動を再開。同年、寺山修司歿後十年の企画として再録した『時には母のない子のように』をリリース。1994年、ロックバンドMOSESを結成。1997年12月29日、京都大学西部講堂にてカルメン・マキ&OZが一夜限りで再結成。2003年、鬼怒無月らとロックバンド CARMEN MAKI & SALAMANDREを結成。2008年、初の朗読(ポエトリー・リーディング)CD『白い月』をリリース。2018年、カルメン・マキ&OZ名義のライブを約21年ぶり(単独での公演は41年ぶり)に開催。2021年12月15日、音楽人生50周年を記念して行われた2019年のライブ<デラシネライブ シリーズ>より5公演の模様を収録したBlu-ray作品『50th Anniversary Live~デラシネって半世紀~』をリリース。2022年4月15日、川崎・CLUB CITTA’にて<カルメン・マキ古希ライヴ 〜生かしておいてくださってありがとう〜>を開催。今もなお、新境地を開拓しながら音楽活動を続けている。



仲村 瞳(なかむらひとみ)
仲村瞳(なかむらひとみ)
編集者・ライター。2003年、『週刊SPA!』(扶桑社)でライターデビュー後、『TOKYO1週間』(講談社)、『Hot-Dog PRESS』(講談社)などの情報誌で雑誌制作に従事する。2009年、『のせすぎ! 中野ブロードウェイ』(辰巳出版)の制作をきっかけに中野ブロードウェイ研究家として活動を開始。ゾンビ漫画『ブロードウェイ・オブ・ザ・デッド 女ンビ~童貞SOS~』(著・すぎむらしんいち/講談社)の単行本巻末記事を担当。2012年から絵馬研究本『えまにあん』(自主制作)を発行し、絵馬研究家としても活動を続ける。2014年にライフワークでもある昭和歌謡研究をテーマとした『昭和歌謡文化継承委員会』を発足し会長として活動中。
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