【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#4 作詞家・阿久悠の言葉

仲村瞳の歌謡界偉人名言集

作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。

仲村 瞳(なかむらひとみ)
仲村瞳(なかむらひとみ)
編集者・ライター。2003年、『週刊SPA!』(扶桑社)でライターデビュー後、『TOKYO1週間』(講談社)、『Hot-Dog PRESS』(講談社)などの情報誌で雑誌制作に従事する。2009年、『のせすぎ! 中野ブロードウェイ』(辰巳出版)の制作をきっかけに中野ブロードウェイ研究家として活動を開始。ゾンビ漫画『ブロードウェイ・オブ・ザ・デッド 女ンビ~童貞SOS~』(著・すぎむらしんいち/講談社)の単行本巻末記事を担当。2012年から絵馬研究本『えまにあん』(自主制作)を発行し、絵馬研究家としても活動を続ける。2014年にライフワークでもある昭和歌謡研究をテーマとした『昭和歌謡文化継承委員会』を発足し会長として活動中。



【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#4 作詞家・阿久悠の言葉

うなじ。肩。背中。そして、うしろ姿。つくろえない感情が人間の背面に出るのである。

『実戦的作詞講座(下)』(スポーツニッポン新聞社出版/著・阿久悠)より

阿久悠
昭和12年、兵庫県淡路島出身。昭和41年、広告代理店でのサラリーマン生活にピリオドを打ち、放送作家と作詞家の仕事を本格化させる。処女作は、昭和40年のザ・スパイダースのデビュー曲『フリフリ』のB面「モンキーダンス」で、広く名を知られるようになったのは、昭和42年の「朝まで待てない」(ザ・モップス)。昭和46年の「また逢う日まで」(尾崎紀世彦)、昭和51年の「北の宿から」(都はるみ)をはじめ、レコード大賞を5曲で受賞(作詞家としては最多)している。生涯の作詞数は5000曲以上。平成19年に70歳で死去。