作曲家で歌手の平尾昌晃が肺炎のため死去、享年79歳

日本を代表する作曲家であり、昭和の歌謡界をリードした歌手でもある平尾昌晃が、2017年7月21日、肺炎のため都内の病院で死去した。享年79歳。

東京都出身。1957年、銀座のジャズ喫茶「テネシー」で歌っていたところを、渡辺プロダクショングループ代表の渡邊美佐と映画監督の井上梅次にスカウトされ、映画『嵐を呼ぶ男』(1957年12月公開)にステージ歌手役で出演したのをきっかけに芸能界入り。『嵐を呼ぶ男』公開の2週間後である1958年1月に「リトル・ダーリン」(キングレコード)でソロデビューを果たす。さらに、そのひと月ほど後には日劇ウェスタンカーニバルに出演。以後、ミッキー・カーチスと山下敬二郎とともに『ロカビリー三人男』として、絶大な人気を誇ることとなる。

空前のロカビリーブームが去ったあとは、作曲家としても活動し、布施明「霧の摩周湖」と、梓みちよ「渚のセニョリーナ」で、第9回レコード大賞作曲賞(1967年)をW受賞している。1970年代に入ると、作詞家・山口洋子とのコンビで、五木ひろし「よこはま・たそがれ」(1971年)、小柳ルミ子「瀬戸の花嫁」(1972年/第3回日本歌謡大賞受賞)、「夜空」(1973年/第15回日本レコード大賞受賞)など、日本歌謡史に残る名曲を数多く残している。1974年には、「平尾昌晃音楽学校(現平尾昌晃ミュージックスクール)」を設立し、畑中葉子、狩人、松田聖子、倖田來未、後藤真希など、世代を越えた、様々なアーティストを世に送り出している。畑中葉子とは、「カナダからの手紙」(1978年)でデュエットし、70万枚を超える大ヒットを飛ばした。

2003年には、紫綬褒章受章。社団法人日本作曲家協会・常務理事、社団法人日本音楽著作権協会理事なども務めた。日本歌謡界における、伝説的な人物のひとりである。

訃報に際し、ささきいさお、「櫻」(作詩:なかにし礼/作曲:平尾昌晃/編曲:若草恵)を歌う氷川きよし、「メロン娘とオレンジ娘」(作詩:橋本淳/作曲:平尾昌晃/編曲:船山基紀)を歌うミッツ・マングローブからコメントが寄せられた。

歌がすごく上手な方だなとデビュー当時からずっと思ってました。
アニメでも良い歌を作って頂きとても感謝しています。
半年位前に会ったのが最後でしたが、とても才能のある方が向こうの世界に行ってしまうのがとても寂しいです。

ささきいさお

訃報を聞いて、まだ信じられない気持ちでいっぱいです。
平尾先生には、なかにし礼先生と「櫻」という素晴らしい作品を作って頂きました。
亡くなった人が、春には必ず櫻になって、大切な人のもとに会いに帰るという内容の作品です。
今、その曲をレコーディングした時のことを思い出しています。どのように歌えばよいかわからず、悩んでいた僕に平尾先生は、「自分らしく歌えばいいんだよ」と優しくおっしゃってくださいました。僕は、その言葉で、自然体で自分らしく歌うことができたのです。
会うたびに笑顔で優しく励ましてくださった平尾先生。この「櫻」をこれからも先生への感謝の気持ちを込めて大切に歌って参ります。
先生、ありがとうございました。

氷川きよし

「歌謡曲」の真髄、真骨頂を教えてくださった平尾先生。平尾昌晃の時代と歴史に名前を刻ませて頂いたことは、私の一生の宝物です。「メロン娘とオレンジ娘」をこれからも大切に唄ってまいります。

ミッツ・マングローブ