【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#10 作詞/作曲家・浜口庫之助の言葉

仲村瞳の歌謡界偉人名言集

作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。

仲村 瞳(なかむらひとみ)
仲村瞳(なかむらひとみ)
編集者・ライター。2003年、『週刊SPA!』(扶桑社)でライターデビュー後、『TOKYO1週間』(講談社)、『Hot-Dog PRESS』(講談社)などの情報誌で雑誌制作に従事する。2009年、『のせすぎ! 中野ブロードウェイ』(辰巳出版)の制作をきっかけに中野ブロードウェイ研究家として活動を開始。ゾンビ漫画『ブロードウェイ・オブ・ザ・デッド 女ンビ~童貞SOS~』(著・すぎむらしんいち/講談社)の単行本巻末記事を担当。2012年から絵馬研究本『えまにあん』(自主制作)を発行し、絵馬研究家としても活動を続ける。2014年にライフワークでもある昭和歌謡研究をテーマとした『昭和歌謡文化継承委員会』を発足し会長として活動中。



【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#10 作詞/作曲家・浜口庫之助の言葉

「芸術家は肩書をもったときに死ぬ」 これが僕の信念だ。

『ハマクラの音楽いろいろ』(朝日新聞社/著・浜口庫之助)より

※平成2年、文化庁からの叙勲の打診を辞退。その当時を回想しての言葉である。自分は勲章をもらうためではなく大衆のために歌を作り続けてきた、と思いを語っている。また、東中野のゴルフ場のトイレで、チンドン屋が「僕は泣いちっち」を演奏するのを偶然耳にし、嬉しくて涙をこぼした、というエピソードも感慨深い。多くの芸術家達に知ってほしい言葉である。

浜口庫之助(はまぐちくらのすけ)
大正6年生まれ、兵庫県神戸市出身。裕福な家庭で、様々な楽器に触れて育ち、5歳で楽譜が読めるようになる。昭和11年、新宿の帝都ダンスホールにバンドボーイとして雇われ、ギタリストとしても活動を始める。以後、灰田勝彦とのバンドや歌手としても活躍。40歳で、作詞家、作曲家へ転向。代表曲は、「黄色いサクランボ」、「僕は泣いちっち」、「涙くんさよなら」、「愛して愛して愛しちゃったのよ」、「星のフラメンコ」、「夜霧よ今夜も有難う」、「恋の町札幌」など。平成2年、咽頭ガンにより死去。享年73歳。