【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#12 俳優/歌手・勝新太郎の言葉

仲村瞳の歌謡界偉人名言集

作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。

仲村 瞳(なかむらひとみ)
仲村瞳(なかむらひとみ)
編集者・ライター。2003年、『週刊SPA!』(扶桑社)でライターデビュー後、『TOKYO1週間』(講談社)、『Hot-Dog PRESS』(講談社)などの情報誌で雑誌制作に従事する。2009年、『のせすぎ! 中野ブロードウェイ』(辰巳出版)の制作をきっかけに中野ブロードウェイ研究家として活動を開始。ゾンビ漫画『ブロードウェイ・オブ・ザ・デッド 女ンビ~童貞SOS~』(著・すぎむらしんいち/講談社)の単行本巻末記事を担当。2012年から絵馬研究本『えまにあん』(自主制作)を発行し、絵馬研究家としても活動を続ける。2014年にライフワークでもある昭和歌謡研究をテーマとした『昭和歌謡文化継承委員会』を発足し会長として活動中。



【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#12 俳優/歌手・勝新太郎の言葉

ああ、俺に金がなくっても、日本に金がなくなった訳じゃないんだから、心配するな。

『俺・勝新太郎』(廣済堂/著・勝新太郎)

妻・中村玉緒との会話。銀行に俺の金はないが、銀行の金はあるだろう、と言い、中村玉緒に「ほんまにそんな風に、パパ考えてるんですか」と言われて返した言葉である。夜の街での豪遊や賭け事、勝プロダクションの倒産などで、13億円の借金を負うも、豪遊を続けた。勝新太郎らしい、器の大きさが表れた一言である。昭和の大スター達には豪傑エピソードが良く似合う。

勝新太郎(かつしんたろう)
昭和6年生まれ。東京市深川区出身。父は、長唄三味線方で名人と知られた杵屋勝東治で、兄は若山富三郎。十代で三味線と長唄の師匠となる。23歳で俳優に転身し、「花の白虎隊」で銀幕デビュー。「悪名」、「座頭市物語」、「兵隊やくざ」などヒットが続き、大映一のスターとなる。一方で歌手としても活躍。自身の主演映画のテーマソングをはじめとしたオリジナル曲、外国曲のカバー、親友の石原裕次郎や水原弘のカバーなど、幅広いジャンルで唯一無二の色気と凄みを発している。下咽頭癌のため、65歳で永眠。