【生き字引に訊け!】第1回 砂田実さん「輝く! 日本レコード大賞」プロデューサー

【生き字引に訊け!】第1回 砂田実さん「輝く! 日本レコード大賞」プロデューサー

想い出深い、歌手、バンマス、指揮者とのエピソード

ーー1969年の大賞受賞曲は、相良直美さんが歌った、「いいじゃないの幸せならば」(作詞:岩谷時子 作曲:いずみたく)です。砂田さんは相良さんとご縁が深かったそうですね。

相良直美は、彼女が大学生の頃、日航ホテルの地下のニッコーミュージックサロン(銀座)で歌っているのを見て、いいなと思ったんです。それで「君プロにならない?」って言ったら「ぜひなりたい」って。僕はその時、作曲家のいずみたくと一緒に、オールスタッフという会社を作って経営していました。それで相良直美をオールスタッフに入れて、いずみたくが曲を作って、それでレコード大賞を獲るわけでしょ。だから裏の図式からすると、こんな汚職の構図はないわけですよ(笑)。だけど僕にはそういう噂が一個も立たなかった。それは自慢できる。この1969年から約20年間がレコード大賞の黄金期だったと思います。

ーーその黄金時代の最中、1972年のレコード大賞の台本のコピーがここにあります。当時は手書きだったんですね。演奏をしていた楽器編成についても書かれています。フルバンド(森寿男とブルーコーツ、高橋達也と東京ユニオン)に、リズム楽器が6人、管楽器が4人。さらに、弦楽器は第一バイオリン8人、第二バイオリン6人、ビオラ4人、チェロ6人に、コーラス(日本合唱協会)は、ソプラノ6人、アルト6人、テナー6人、バス6人と、ずいぶん豪華ですね。

【生き字引に訊け!】第1回 砂田実さん「輝く! 日本レコード大賞」プロデューサー

その時代は、ちょうどブルーコーツとシャープ&フラッツが有名で、とにかくシャープ&フラッツは1位ね。その次はブルーコーツでしたね。僕の親友で、電通にいた久松定隆っていう音楽に詳しい男がいて、「東京ユニオンってバンドがいいから観に行ってくれない?」って言うんです。それで演奏しているクラブへ行ったら、なるほど、良い音出してる、と思った。これからスターダムにのし上がろうっていうころでしたね。それで、僕がレコード大賞に起用したんです。バンマスは高橋達也さんって真面目な人でね。ミュージシャンにもああいう真面目な人がいるかなっていう位。僕がザ・ピーナッツのショクナイ(内職)でコンサートの演出をしていて全国を廻った時も、高橋さんと一緒だったの。高橋さんは「砂田さん、今日の出来は問題点がありますね」ということも言ってくれたので、一生懸命直したりね、そういうバンマスは珍しかったですね。

ーーそれは貴重なお話ですね。指揮者は、長洲忠彦さんが長く務めていたようですね?

長洲さんは、ずっとTBSの音楽番組の指揮者をされていた方です。僕の音楽番組のレギュラーも務めてくださって、レコード大賞も喜んでやられていました。背筋をピンと立てて指揮をする姿が印象的でね。いつもニコニコしていて、とても真面目で、哲学を学ばれている方で、僕に『歎異抄』(たんにしょう ※鎌倉時代に書かれた仏教書)を教えてくださったんです。世田谷のお宅に度々伺って、音楽の話ではなく、哲学のお話をたくさんしました。僕は大変影響を受けていて、人生の中で出会った想い出深い方の一人ですね。当時、指揮者はバンマスが兼ねていることがほとんどで、長洲さんのように指揮者だけでやっている人は珍しかったです。

ーー日本を代表する指揮者だったそうですね。品のある佇まいと美しいタクトさばきで知られ、長洲さんの姿が映り込むと、画面が“格調高くなる”とも言われていたそうです。

【生き字引に訊け!】第1回 砂田実さん「輝く! 日本レコード大賞」プロデューサー

1972年当時の「レコード大賞」台本コピー

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