【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#25 作詞家・青島幸男の言葉

仲村瞳の歌謡界偉人名言集

作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。

ほらはなるべく、大きい方がいいんだ。

『ちょっとまった! 青島だァ』(岩波書店/著・青島幸男)より

※この本によると、青島幸男は、子供の頃から親に「ほら吹き」と呆れられたという。都庁の建築現場を見た時には、「あそこで仕事をするようになるんだ」と思ったそうだ。昭和35年当時、「僕は、運転免許を取って、美容師の免許を取って、映画も撮って、主演もし、作詞作曲をして、直木賞を取り、国会議員になる」と豪語して、植木等からも正気を疑われる。しかし、8年後までにすべて実現することになる。映画『日本一のホラ吹き男』(昭和39年)の主題歌「ホラ吹き節」(作詞:青島幸男 作曲:萩原哲晶)は、青島自身を歌った作品なのかもしれない。

青島幸男(あおしまゆきお) 
昭和7年、東京都中央区出身。東京都立第二十一中学校の同期だったすぎやまこういちの誘いで、放送作家への道へ進む。「おとなの漫画」(昭和34年~昭和39年/フジテレビ)や「シャボン玉ホリデー」(昭和36年~昭和47年、昭和51年~昭和52年/日本テレビ)など、人気テレビ番組を支える。裏方でありながら「青島だァ!」と、画面に登場するギャグが流行語となる。作詞家としては、作曲家・萩原哲晶とのコンビで、「スーダラ節」(昭和36年)をはじめ、ハナ肇とクレージーキャッツの多くの名曲を手掛ける。テレビ番組「意地悪ばあさん」(昭和42年~昭和44年/読売テレビ、昭和56年~昭和57年/フジテレビ)の名演で俳優としても認知される。直木賞作家であり、映画監督、タレント、政治家(参議院議員、第二院クラブ代表、第13代東京都知事)など、マルチな才能を発揮した。平成18年、74歳で死去。