【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#137 シンガーソングライター・矢野顕子の言葉

仲村瞳の歌謡界偉人名言集

作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。

ピアノがあって歌が歌えると、世界一自分は自由だと思う

『PLAY, JAPAN! Red Bull Music Academy Radio』(2週に渡る 矢野顕子の第1弾インタビュー アーカイブアップ! 彼女を形成した音楽、そしてピアノとの出会い/2013.9.20)より

矢野顕子は、このインタビューで「ピアノは3歳からクラシカルなトレーニングを習い始めました。音楽がイヤになったことは一度もないので、最初から楽しかった」と、語り始めた。今回の名言は、天命を授かった者だからこそ言える言葉なのであろう。「音楽以外で身を立てようと思ったことはない」、「音楽は全て私の中から出てくるもので、実に自然なんです」、「私にはバケーションは必要じゃないのよ。表現していれば毎日楽しいから」などなど、矢野の多くの言葉がそれを証明している。自由になれるものを持つことこそが、「幸せ」というものではないかとも感じとれる言葉である。そして、「いつも人との出会いが、自分の別の扉を開くヒントになっていました」と語る矢野の感性に、人生を自由に楽しみ続けるためのコツがあるのではないかと感じてしまう。

矢野顕子 (やのあきこ)
1955年2月13日、青森県青森市出身。高校在学中に、レストランでピアノ演奏の仕事を始める。ピアノの弾き語りで人気を集め、高校を中退。父親の知人だった作家の安部譲二の家に居候しつつ、当時、安倍の妻の遠藤瓔子が経営するジャズクラブ「青山ロブロイ」に出演し、業界人の間で評判になった。1973年頃から、セッション・ミュージシャンとして、アグネス・チャン、荒井由実、吉田美奈子など、多くのミュージシャンのレコーディングにキーボードとコーラスで参加。1974年 、バンド・ザリバ名義で、デビューシングル『或る日』をリリース。1976年 、矢野顕子としてデビューアルバム『JAPANESE GIRL』をリリース。1977年、NHKのAMラジオ番組「若いこだま」のパーソナリティを担当。この頃、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)にサポートメンバーとして参加。1978年、YMOメンバーとの共同活動を開始する。1981年「春咲小紅」がカネボウ化粧品のCMソングに起用されヒットする。1990年、バラエティドラマ「やっぱり猫が好き」のオープニングテーマに「David」が起用される。1992年 、弾き語りシリーズの第一弾となったアルバム『SUPER FOLK SONG』をリリース。同年、ドキュメンタリーフィルム「SUPER FOLK SONG – ピアノが愛した女。」も上映。1999年、アニメ映画「ホーホケキョ となりの山田くん」の音楽を担当。藤原先生役で声優にも挑戦。1999年、織部賞を受賞。2003年、アニメ映画「あたしンち」の主題歌を担当。この年から、ブルーノート東京でのライブを開始する。2008年、アニメ映画「崖の上のポニョ」では、声優としてポニョの妹役を担当。2010年、森山良子とユニット・やもりを結成。2020年4月25日・26日には、宮城県みちのく公園北地区 エコキャンプみちのくにて開催される<ARABAKI ROCK FEST.20>に、やのとあがつま(矢野顕子&上妻宏光)として出演予定。


仲村 瞳(なかむらひとみ)
仲村瞳(なかむらひとみ)
編集者・ライター。2003年、『週刊SPA!』(扶桑社)でライターデビュー後、『TOKYO1週間』(講談社)、『Hot-Dog PRESS』(講談社)などの情報誌で雑誌制作に従事する。2009年、『のせすぎ! 中野ブロードウェイ』(辰巳出版)の制作をきっかけに中野ブロードウェイ研究家として活動を開始。ゾンビ漫画『ブロードウェイ・オブ・ザ・デッド 女ンビ~童貞SOS~』(著・すぎむらしんいち/講談社)の単行本巻末記事を担当。2012年から絵馬研究本『えまにあん』(自主制作)を発行し、絵馬研究家としても活動を続ける。2014年にライフワークでもある昭和歌謡研究をテーマとした『昭和歌謡文化継承委員会』を発足し会長として活動中。
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