【特別座談会】うちの師匠、どうでしょう!? 三山ひろし、走裕介、桜井くみ子、松尾雄史が語る巨匠の姿(前編)

【座談会】うちの師匠、どうでしょう!? 三山ひろし、走裕介、桜井くみ子、松尾雄史が語る巨匠の姿(前編)

歌手の皆様に、師匠について語っていただく座談会を特別開催。今回は、三山ひろし、走裕介、桜井くみ子、松尾雄史の4名がご登場。三山ひろしの師匠・中村典正、走裕介の師匠・船村徹、桜井くみ子の師匠・藤竜之介、松尾雄史の師匠・水森英夫、巨匠たちの心温まるエピソードに、驚きの秘話が満載です!

取材・文:仲村 瞳

歌手になる術がわからない頃、師匠と出会った

ーーそれではまず、師匠との出会いから教えてください。

松尾雄史「僕は、出身が長崎なんですけど。高校2年生の時に長崎のカラオケ大会に出場しまして、その時に審査員長をされていたのが水森英夫先生で。そこで声をかけてもらいました」

ーーお名前を決められたのも、先生だったのですか?

松尾「先生が芸名も考えてくださったのですが、僕の本名はすごく画数が良いというので、本名がそのまま芸名になりました。水森先生は画数を観るのが大好きで、画数の話になると、ずーっと話してらっしゃいます」

ーー桜井さんはいかがですか?

桜井くみ子「私の師匠は、藤竜之介先生です。小さい時から演歌が好きで、短大生だった18歳の時、東京で開かれたあるカラオケ大会の全国大会に出場して、その時の審査員のお一人だったのが藤竜之介先生です。その大会で先生と出会って、会が終わった帰り道でばったりとお会いして、藤先生から『どういう風に考えているの? 将来は?』って尋ねられて、『実は歌手になりたいんです』って話をしたら、『じゃあ一度体験レッスンにいらっしゃい』と言われました。それから一週間くらい経ってから、家族みんなで伺って、レッスンをしていただいたんです。すごく厳しくって、両親や妹も見ている中で、半泣きでレッスンを受けました(笑い)。でも、ここに来たら歌手になれるなって思いました。そして、短大を辞めて上京することに決めて、内弟子に入りました」

走裕介「なかなかの決心ですね。ちなみに何を勉強されていたんですか?」

桜井「幼稚園の先生になろうと思っていました」

走「あらっ。すげえ! 合いそうですね!」

ーー三山さんと中村典正先生との出会いは?

三山ひろし「私は25歳の時、歌手になりたいと思って上京したんですけども、特に、誰に師事するとか何にも考えていませんでした。どうやって歌手になれるかわからないけど、故郷の高知にいてもしょうがないし、とりあえず東京に出たという感じです。オーディションに出たり、作曲家、作詞家の先生に見出していただけるような所に自分の身を置かなければいけないと思って、それで大会とか出るために、東京に出たんです。それまでは、高知から東京に出て大会に出たり、色々やっていたんですけど。交通費もかかるし、大変だから、東京に出てきました。仕事しながら大会に出たりしようかと思っていたんですが、仕事もなかなか決まらなくて。いきなり挫折感満載で終わったな、と思っていたけれど田舎を捨ててきているから帰ることはできないし。困ったなあ、と思っている時に、NAK(日本アマチュア歌謡連盟)の竹本さんという人がいましてね。僕、NAKの会員なんですよ」

桜井「そうなんですね!」

一同「(笑)」

三山「NAKの会員で(笑)。で、その時に、仕事が無くて困っているんだ、ということを竹本さんは知っていて。『じゃあ、俺も色々探してみるから』って、面倒見のいい人なんですよ。顔は怖いけど(笑)」

一同「(笑)」

三山「職安とかにも行っていたんだけど、なかなか仕事が決まらなくて。竹本さんがある時、『ライブレストラン青山』っていうお店を松前ひろ子さんがオープンさせるということで、ウェイターの面接に行くと松前ひろ子さんご本人に採用していただきました。そのお店で、中村典正先生、師匠に出会ったんです。最初、誰かわからなくて、パッと見た感じ、変な怖い人が座っているなと思って(笑)。淡いサングラスをかけて、手には金の指環とネックレスを付けて腕組みして座っているし(笑)」

走「えー! そういうイメージなかったです」

三山「好きなんですよ。光モノが。金の腕時計付けて腕組みしているから、これは危ない人だなあ、と思って話しかけないでおこうと思っていたら、それが先生だったという。それが出会いですね」

一同「へえー!」

ーーお名前を決められたのも中村先生なのですか?

三山「一応皆で話し合って決めたんです。最初は地元にちなんだ名前はどうかという話でした。僕の家の横に農業用の用水路のような二ツ川という川があって、その川に因んで、僕の本名の正彰とあわせて、『二ツ川正彰』っていうのが一つと。あと、『藤桜なんとか』っていう全部の花が入ったような名前が一個あって。僕は高知県南国市の出身なんですけど、南国市の長男ということで、『南国太郎』っていうその三つがあって。最後に『三山ひろし』があったんですよ」

走「よかったですねえ! 三山ひろしっていう名前があって」

一同「(笑)」

三山「南国太郎だったら、市役所の記入例みたいになっちゃいますからね(笑)。三山ひろしは画数も少なくて書きやすいし、運勢も良いということで、『これにしなさい』って先生が決めてくれました」

【座談会】うちの師匠、どうでしょう!? 三山ひろし、走裕介、桜井くみ子、松尾雄史が語る巨匠の姿(前編)

ーー走さんはいかがでしょうか。

走「私は船村徹という作曲家の弟子でございますが、みなさんと同じで、歌手になる術がわからなかったんです」

桜井「本当に、演歌歌手ってみんなそうですよね」

走「携帯もないし、パソコンもないし、ネットもないので。元々、僕はロック・ポップスをやっていました。どうしても歌い手になりたいなと思っていたんです。出身が北海道の網走なんですけれど、その隣町にカーリングで有名な北見という街があって、そこのカラオケ大会に出たんです。そのカラオケ大会を主催している足利先生という方が、船村徹先生と知り合いだったんですよ。で、1回目から6回目くらいに、船村徹先生も北見に審査員長で来ていたんです。足利先生に、僕の歌い手になりたいという思いをずっと伝えていたんですね。で、『お前うるさいな、そんなになりたいのか』と、歌をテープに録音して、船村徹先生に送ってもらえたんです。それがきっかけで、船村徹先生の弟子にしてもらえたんです。名前も船村徹先生からいただきました」

ーー船村先生からはすぐに連絡があったんですか?

走「テープを送って半年経って連絡が来て、『改めて弟子にするので、一週間以内に来なさい』と」

三山「住むところは決まっていたんですか?」

走「住むところは、弟子ですから住み込みで。365日24時間、師匠と一緒なんです」

三山「珍しいですね。今はほとんど通い弟子ですよね。昔の先生方は、住み込みのようですが。僕は通い弟子でした。先生の家の近くにアパート借りて迎えに行くというスタイルでした。船村先生は住み込みで、ご飯の支度からなんでもやってっていう世界ですよね」

走「はい。船村先生は栃木出身なんですよ。栃木の日光市に、楽想館という仕事場があって、そこで先生が曲を作ったり、弟子と一緒に生活をする。先生と弟子しかいないんです。あとは、先生のペット。当時は、ワンちゃん、ニャーゴ3匹、ニワトリ」

松尾「それの世話をするんですか?」

走「そうです。動物達って、序列をつけるじゃないですか。で、まず船村先生、その下に犬、猫、ニワトリ、走裕介っていう順番なんです」

桜井「一番下なんですね(笑)」

一同「(笑)」

三山「船村先生がお付けになる芸名は面白い方が多いですよね。大下八郎さんなんかもそうですよね。『たいした野郎だ』から命名されたんですよね。聞いてびっくりしました」

走「大下さんの場合は、船村先生がやっていた歌謡スクールのようなところに来ていたそうなんです。いっつも来るんですって」

三山「で、すごい怒られるんでしょ? で、全然へこたれないっていう。だから『たいした野郎だ』って」

走「『お前、俺が書いた通りに全然歌わねえなあ』、『お前は大した野郎、大した野郎、大下八郎だ』って」

三山「面白いですよね。走さんもそういう感じですか?」

走「僕は出身が網走なので。結構、出身地にちなんだ名前も付けるんですよ」

三山「それで鳥羽さんかあ」

走「鳥羽一郎さんは、三重県の鳥羽市ですね。北島さんは北海道の函館の知内町なんですよ。『北海道は大まかに考えたら北の島だろう』って先生は思ったんです。で、『北の島、三郎がいいんじゃないか、語呂が言いから』で、北島三郎だったらしいですよ」

松尾「面白いですね」

走「僕は網走なので、網走裕介だと、おつとめしてきたみたいなので(笑)。網走刑務所のイメージが強いので、網の字を取り外すかって言ってつけてもらったんです。機嫌が悪かったら、もしかしたら、網走裕介になったかもしれない(笑)」

三山「それもまた、昭和の任侠映画みたいでカッコいいですね。襟立ててね」

走「サラシ巻いて(笑)」

三山「デビューしました。歌います。『監獄ロック』みたいな(笑)」

一同「(笑)」

ーー桜井くみ子さんのお名前も藤先生が決められたのでしょうか?

桜井「いえ、自分で決めました」

走「えー、そうなんですか!」

三山「すごーい!」

桜井「一応、相談はしましたけど。画数は自分で本を買ってきて。やっぱり皆さんと一緒で、大阪の堺出身なので、昔の地名の泉ヶ丘町から、泉くみ子とか、なんとか泉とかいう名前もあったりしたんですけど。本名のくみ子という名前は絶対使いたかったんです。で、何で桜井にしたかっていうと、業界で、よく苗字で呼び捨てにされる時ってあるじゃないですか。で、それが本名だと嫌だし、呼び捨てにされてもいい名前がいいなと思って。それでお花の名前を付けたら華やかにも見えるかなと思って。日本らしく桜という字を使いたいなと。下の名前、本名は漢字なんですけど、硬い感じになっちゃうので、“くみ”だけひらがなにして。名前の候補の1つに入れて、あとはレコード会社と事務所のスタッフの皆さんで、どれがいいかなっていう感じで選んで、偶然ですけど決まったのが自分で考えた名前でした」

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