【ライブレポート】加藤登紀子が去年に続き、オーチャードホールでコンサートを実現

加藤登紀子


2021年7月18日、東京・渋谷のBunkamuraオーチャードホールで、加藤登紀子が<時には昔の話を TOKIKO KATO CONCERT 2021>を開催した。コロナ禍においてもコンサートをはじめ、精力的に音楽活動を続けている加藤。この日も、会場でアルコールジェルとマスクが配られるほか、徹底した新型コロナ感染対策が取られたうえでの開催となった。


<時には昔の話を TOKIKO KATO CONCERT 2021>


バンドメンバーの鬼武みゆき(ピアノ)、告井延隆(ギター)、渡辺剛(バイオリン)、早川哲也(ベース)に続き、白いドレス姿の加藤登紀子がゆったりとした足取りで登場すると大きな拍手が贈られた。オープニングは1996年の曲から「そこには風が吹いていた」。アルバム『晴れ上がる空のように』収録曲で、加藤がギターの告井らと飛行機内でハイジャック事件に遭遇した翌年の歌だという。「急ぎすぎた時代の中で聞こえる悲しい不協和音に想いを寄せて」とはこの日のパンフレットに記された言葉。間奏でステージの端まで歩き、客席に視線を送りながら歌う加藤。続けて2曲、1917年に作られ、1972年に加藤が歌い大ヒットした「琵琶湖周航の歌」、2020年4月と5月の『ラジオ深夜便』(NHK)で“深夜便のうた”として流れた「未来への詩」を歌い上げる。

ここで、加藤が客席を見渡して挨拶。「元気ですか? 去年に続いて、オーチャードホールでコンサートを実現することができました。今日は本当にありがとうございます! お客さんのほうにもすごく気合が入っていて、客席から伝わってくる緊張感がすごくて、素晴らしかったです」と会場の熱気を表現する。このコンサートのテーマについて、「タイトルを『時には昔の話を』にしたんですね。今、わけのわからない時代になってきちゃいましたが、そういう時はどうすればいい?と考えたら振り返ることだと思ったんです。それで100年を語ってみようかなと。わたしの母が90歳位の時に『100年も生きた人ってすごいよね』と言ったことがあって。私は100年も生きていないんですけど、77年も生きているから、ちゃんとしゃべる責任があると思いました」と明かした。

「琵琶湖周航の歌」は、1917年にできた100年以上歌い継がれている名曲。加藤が作詞作曲をした「時には昔の話を」が使われた宮崎駿監督作品『紅の豚』は、今から約100年前の第一次世界大戦が終わった後のヨーロッパの人々の話だという。「夢で溢れていたのが100年位前。すごいことが人間ってできるんじゃないかっていう夢で溢れていたのが100年前だった気がしますね。『琵琶湖周航の歌』の最後に『語れ我が友 熱き心』っていう歌詞がありますが、作った彼(作詞・小口太郎)が夢見た未来はなんだったんだろう? この歌ができた後にどんな未来が彼に待っていたんだろう?ってふと思ったら、ああ、未来って不思議だな、と思ってね。未来は何年後か決まっていない。100年後かもしれないし明日かもしれない。でも見えないから未来って言っているんですよね。そう考えたら一番確かなのは、今ここで感じている未来が一番確かなんだって思いました。だから、いつ何時でも時間は通り過ぎていくんだけど、そのたびに新しいページを開くっていうのは今って言う瞬間なんだな。ここに満ち満ちているのが未来だよと、そんなことを思いました」と語る。


加藤登紀子


ここで、アコースティックギターを抱えた加藤。外出自粛中に加藤登紀子with friendsにより作られた「この手に抱きしめたい」を紹介。同曲は2020年4月に加藤が弾き語りの歌唱動画をYouTubeにアップしたことから、笑福亭鶴瓶、宮沢和史、相川七瀬、ゴスペラーズ、ダイヤモンド☆ユカイなどの賛同者が増え、話題を集めた曲。加藤の弾き語りに途中からピアノとバイオリンの美しい音色が加わり、ドラマチックな仕上がりとなっていた。

2021年でデビューから56年目となる加藤。「あの時に歌ができたんだなっていうのをすごく覚えている歌がいくつかあります。それは大抵、途方に暮れている時なんですよね。明日のページが開けないわっていうような時に佇んで、言葉が無くなった時に空白の中から降ってくるというか、それがいつも歌のような気がしています」と振り返る。「あの日にできた」と覚えている歌の中からは、1969年の3月12日に獄中の夫・藤本敏夫からハガキが届き、そこに書かれた言葉がきっかけで生まれた「ひとり寝の子守唄」を披露。同曲を聴いた森繁久彌が「僕と同じ心で歌うひとをみつけたよ」と加藤を抱きしめたというエピソード(『登紀子自伝 人生四幕目への前奏曲』より)も劇的である。そして、森繁久彌が作詞作曲し、加藤が1970年に歌って大ヒットした「知床旅情」と、人気の高い曲が続く。以前は皆で合唱するのがお馴染みだった「知床旅情」。コロナ禍で合唱が難しくなってしまったものの、皆、加藤の歌唱をじっと聴き入り、会場の一体感は高まっていた。

ここで、「何か一曲やりたくなっちゃった」と、予定にはなかった河島英五の「生きてりゃいいさ」(作詞・作曲 河島英五)を弾き語る。20年前 48歳でこの世を去った河島と加藤も縁が深い。「嵐のように生きて去って行った」と、河島との思い出も語った。去年を振り返り「一生の中で2度と無いくらい時間があった」と加藤。その時間で、医師・中村哲の著書を全て読んだという。中村医師は、アフガニスタンで人道支援活動に尽力。2019年に武装集団に襲撃され、73歳で死去した。中村の活動を支援していた加藤は、『哲さんの声が聞こえる 中村哲医師が見たアフガンの光』を執筆。本年の8月2日に発売される。「昨日印刷が終わったんです」と、できたばかりの一冊を紹介する加藤。この日は会場で限定100冊がサインカード付きで販売され、すぐに完売となった。

子育てが大変だった1976年に、自分を振り返りたいという気持ちで作ったアルバム『回帰線』というアルバムの中からは、「あなたの行く朝」を「中村哲さんのために歌わせてください」との言葉の後に歌唱。第一部の最後は、2004年に入ってから「今の自分を歌わなくてどうする!」との思いから作ったという「今があしたと出逢う時」を熱唱した。「♪燃える心のままに あしたを越えて行けばいい」というフレーズの繰り返しも印象的で、思わず動き出したくなるような曲である。


加藤登紀子


休憩を挟み、第二部は、黒いドレス姿で登場。秘蔵のレパートリーとして選んだ3曲を続けて歌唱した。1933年にハンガリーで発表された「暗い日曜日」、ドイツ占領下のポーランドでゲリラ的に抵抗したパルチザンを応援するために作られた「今日は帰れない」、「カチューシャの唄」は、元々1914年の芝居『復活』(原作はトルストイ)の劇中歌として作られたという。作詞家の島村抱月は翌1915年にスペイン風邪により47歳で死去している。日本で最初のポピュラーソングとして流行ったともいわれている曲。

加藤が中学生時代に「ぞっこんだった」というフランスのシャンソン歌手・ダミアについても語られた。「暗い日曜日」を歌い全世界でヒットさせたダミア。加藤はダミアの低い声に自分と近いものを感じていたという。加藤が敬愛するエディット・ピアフがデビューの頃に大好きで歌っていたのがダミアの曲だったという話も興味深い。1989年のアルバム『エロティシ~謎~』のテーマとして書かれた詩「一つの謎」は、ピアノとバイオリンの演奏にのせて加藤が朗読。詩が胸に迫ってくる、聴き応えのある演出だった。

「素晴らしかった時代はいくつも来ても、必ずその後に暗闇が来ます。だから空しいものだったかというとそうではなくて、それが輝かしかったのは永遠に残ります。『紅の豚』の中でも、皆が死んでしまって大変な状況でもジーナ(声・加藤登紀子)が、『いつもいつも必ず光に満ちていた時代のことを忘れないようにしましょうね』という意味でこの歌を歌っています」という話の後に、1872年のパリコミューンのことを偲んで歌われた「さくらんぼの実る頃」、パリコミューンの兵士の記念碑もあるエディット・ピアフの墓地を歌った「ペール・ラシェーズ」、エディット・ピアフが1959年に作詞した「愛の讃歌」と続く。


加藤登紀子


終盤は、『紅の豚』のラストテーマ「時には昔の話を」を、宮崎駿監督とのエピソードを交えて紹介。元々は、加藤の1987年のアルバム『My Story』の収録曲で、宮崎監督が聴いて「歌詞の『あの日のすべてが空しいものだと それは誰にも言えない』という部分が、僕に嬉しい一言でした」と言ったという。このコンサートのラストにふさわしい名曲を歌い上げ、マイクを通さずに「ありがとう!」と感謝を表す加藤。拍手はそのままアンコールとなり、ステージが赤く照らされる中、「百万本のバラ」を披露。手拍子も大きくなり、会場の熱気も一段と高まる。途中、ロシア語でも歌われる特別バージョンは貴重である。「今日は本当に本当にありがとう! ずっとここにいたいよ!」と満面の笑みの加藤。会場は和やかな笑いで包まれた。

歌い終えると2021年に日本訳詩家協会の会長に就任したことにも触れ、「その言語を歌うと、一緒に生きているような気がします。国境が何かを分けるのではなく、大切な出会いを作るものであってほしい」と語った。最後の曲は、1989年にフランス革命200年目のパリでの公演のために作ったという「Revolution」。何度も左拳を上げ、歌い終えると両手でマイクを握りしめる加藤の姿は何かを祈るようにも見えた。最後は大きな拍手が起こる中、加藤が“エアタッチ”ではなく“エアハグ”を呼びかけ、一体感に包まれた終演となった。この日の模様は、7月31日まで配信で観ることができる。


加藤登紀子


加藤登紀子


撮影:ヒダキトモコ
取材・文:仲村 瞳


加藤登紀子<時には昔の話を TOKIKO KATO CONCERT 2021>(アーカイブ配信)

日時:7月18日
場所:東京・渋谷Bunkamuraオーチャードホール
7月24日から31日まで有料配信
配信チケット詳細


関連リンク

◆加藤登紀子 オフィシャルサイト
◆加藤登紀子 オフィシャルTwitter