三波春夫、生誕100年で豪華映像集が待望のリリース

三波春夫


4枚組DVD BOX『決定版 三波春夫映像集』が、7月19日にリリースされた。

今年、生誕100年を迎えた三波春夫への注目が高まっている。テレビ各局はBS、CSを含めて、三波の過去の出演番組や記念特番を相次いで放送。7月25日にはNHK総合「うたコン」にて特集がオンエアされ、時の人と言ってもいい人気ぶりだ。

日本と日本人をこよなく愛し、燦然と輝く歌と笑顔で、高度成長期から平成までの日本を明るく照らした三波は1923年7月19日、新潟県に生まれる。本名は北詰文司。16歳で日本浪曲学校に入学し、ひと月足らずで「浪曲師・南篠文若」として初舞台を踏む。20歳で陸軍に入隊、終戦後はシベリアの捕虜収容所で4年間の抑留生活を余儀なくされるが、その間も浪曲で過酷な労働を強いられる仲間たちを慰め、励ましたという。

1949年に帰国すると、浪曲師としての活動を再開。時代の変化を肌で感じた彼は、経済白書が「もはや戦後ではない」と宣言した翌年の1957年、“三波春夫”と改名し、歌謡界にデビューする。同年に発表した「チャンチキおけさ」は大ヒット。瞬く間にスターとなるが、その背景には慣例にとらわれない柔軟な発想とチャレンジ精神があった。

当時の歌謡界には、男性の衣装はスーツかタキシードという不文律が存在したが、三波は浪曲で鍛えた自身の芸を生かすには和服の方がいいと判断。男性歌手初の和装でステージに立ち、大評判となる。その後も美しくキレのある所作、豊かな表情、張りのある声、抜群の口跡でヒットを連発。今では一流歌手の証しとなっている、大劇場における芝居と歌謡ショーの2本立ての座長公演を歌い手として初めて実現させ、特に東京・歌舞伎座では歌手としてただ一人、1ヵ月間の座長公演を20年連続で開催する偉業を達成する。

演者としてだけでなく、作家としても才能を発揮した三波は“北村桃児”名義で作詞や構成を手がけ、一部楽曲では作曲も担当。白眉はなんと言っても、歌謡曲、浪曲、芝居などの要素を融合して編み出した“長編歌謡浪曲”だ。長尺の浪曲をコンパクトに楽しんでもらいたいと考えた三波は「こんな素晴らしい日本人がいた」「その人はこういう生き方をした」と伝える歴史ドラマ、人間ドラマを長編歌謡浪曲として大いに書き、歌い、語った。

その活躍は多岐にわたり、戦後復興の象徴ともいえる2大イベント(1964年の東京五輪と1970年の大阪万博)のテーマソングも歌唱。いずれも各社競作となったが、三波盤が最大のヒットを記録し、名実ともに国民歌手に登りつめる。だが進取の気性に富んだ三波はその座に安住せず、以後もラップやレゲエ、若手とのコラボレーションなど、新しいことに次々と挑戦。2001年に77歳で旅立つまで“歌藝”に邁進した。

三波の歌に向き合う真摯な姿勢と類例のないパフォーマンスは時代や世代を超えて人々を魅了。近年は山内惠介、三山ひろし、辰巳ゆうとなど、令和の歌謡界を支える中堅・若手の実力派が、三波の長女で「三波流流主」の三波美夕紀に師事し、日々己の芸の研鑚に努めている。

そんな三波の貴重映像を多数収録した4枚組のDVD-BOX『決定版 三波春夫映像集』が7月19日にリリースされた。

DISC 1には現存する「NHK紅白歌合戦」の出演映像のほか、特典として1958年に初出場した時の音声などが収録されている。大トリ3回を含む、通算31回の紅白出場を果たした三波は衆目の認める“大晦日の顔”。着流しの和装で長編歌謡浪曲などを吟じるステージからは、新しい年を迎えるにふさわしい華やかさと歌謡界黄金期の熱気を感じ取ることができる。

さらにDISC 2には、「ビッグショー」「思い出のメロディー」「歌謡ステージ」など、NHKの番組における歌唱映像、DISC 3は1976年開催の<歌謡生活20周年記念リサイタル>、DISC 4には1994年開催の<芸能生活55周年記念リサイタル>の模様を収録。不世出のスターの魅力が余すところなく収められている。

今回のDVD BOXの見どころは多々あるが、圧巻は7シーン収録されている、代表作の「元禄名槍譜 俵星玄蕃」。1976年から1999年まで、円熟味を増していく過程を追体験できる。晩年までひたすら芸を磨き続けたその姿からは名言「お客様は神様です」(=「神前で祈るときのように雑念を打ち払って、心を昇華しなければ完璧な歌は歌えない。だから私はお客様を神様と見立てて歌う」という意)の真髄を味わえることだろう。

文:濱口英樹








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