【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#3 作詞家・石坂まさをの言葉

仲村瞳の歌謡界偉人名言集

作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。

仲村 瞳(なかむらひとみ)
仲村瞳(なかむらひとみ)
編集者・ライター。2003年、『週刊SPA!』(扶桑社)でライターデビュー後、『TOKYO1週間』(講談社)、『Hot-Dog PRESS』(講談社)などの情報誌で雑誌制作に従事する。2009年、『のせすぎ! 中野ブロードウェイ』(辰巳出版)の制作をきっかけに中野ブロードウェイ研究家として活動を開始。ゾンビ漫画『ブロードウェイ・オブ・ザ・デッド 女ンビ~童貞SOS~』(著・すぎむらしんいち/講談社)の単行本巻末記事を担当。2012年から絵馬研究本『えまにあん』(自主制作)を発行し、絵馬研究家としても活動を続ける。2014年にライフワークでもある昭和歌謡研究をテーマとした『昭和歌謡文化継承委員会』を発足し会長として活動中。

作詞家・石坂まさを(本名・澤ノ井龍二)の言葉

龍二は、森川に、ドスを突きつけるように言った。
「きみ、貯金いくらあるの?」
「百二十万円くらいかな」
「じゃ、その百二十万円を全部使い切って、裏町の港でボロボロになって、そこで書いてきてよ」
(中略)
一週間後、森川は、曲を書いてきた。すばらしかった。龍二は、訊ねた。
「貯金どうした?」
「まだ残っています」
「じゃ、やめよう」

※石坂まさをと、新進ピアニスト・森川のぼるの会話
『悲しき歌姫 藤圭子と宇多田ヒカルの宿痾』(イースト・プレス/著・大下英治)より

石坂まさを 
昭和16年生まれ、東京都新宿区出身。本名は澤ノ井龍二。昭和44年、沢ノ井千江児の名で作詞家デビュー。28歳で、『石坂まさを』に改名し、藤圭子をプロデュースしてミリオンセラーを記録する。それをきっかけに、プロデューサー兼作詞家というスタイルで創作活動を続ける。小林旭、五木ひろし、角川博、郷ひろみなど、多くのスターの活動を後押しし、ヒットを連発する。平成25年、長い闘病生活の末、他界。享年71歳。