作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。
『かわさきアートニュース』(Vol.256/ジャズ会のレジェンドが奏でる極上のサウンド インタビュー/前田憲男/2017.10)より
前田憲男は、82歳にして神奈川県川崎市・新百合トゥエンティワンホールでのジャズフェスティバルにプレイヤーとして参加している。インタビューでは、そのフェスティバルに参加する意気込みを語りつつ、音楽家としての半生を振り返っている。今回の名言は、編曲家としてのキャリアについて触れた言葉からの抜粋である。前田は一時期、バンドを抜けて「アレンジャー1本になった」という。その結果、収入は10倍にも膨らんだが、アイデアは枯渇し、気がついたら何も書けなくなってしまったと明かす。そして、「プレイヤーとして活動を始めた途端、また書けるようになりました」と今回の名言の信憑性を身を持って裏付けている。また、前田は「やっぱり若い人と知り合いになることが一番楽しみですね。今の若い連中の音楽を吸収するのは、一緒にやるのが一番早いと思います」とも語っている。若者に説教するでもなく、頂点を極めてもなお、吸収しようとする精神性に脱帽するしかない。
前田憲男(まえだのりお)
1934年12月6日生まれ、大阪府豊中市出身。ジャズピアニスト、作曲家、編曲家、指揮者。小学校教師の父親から幼少の頃に読譜を学び、ピアノを独学で習得する。高校卒業と同時に、プロのジャズピアニストとして活動を開始。1955年、上京し様々なバンドに参加。独学で指揮法を学びつつ、ビッグバンド向けの編曲も始める。東京フィルハーモニー交響楽団のポップス部門の音楽監督を務め、編曲・指揮を担当した。予てより親交の深かった大橋巨泉のテレビ番組(『11PM』、『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』など)をはじめ、多くのテレビ番組のテーマ音楽を手がける。1966年、日野てる子の「さいはての湖」で歌謡曲の編曲家としてデビュー。1970年頃から、日本歌謡大賞のテーマソング『日本歌謡大賞讃歌』、テレビ朝日系『題名のない音楽会』、フジテレビ系『シオノギ・ミュージックフェア』など、様々な音楽番組で活躍する。1981年、『東京音楽祭』にて最優秀編曲賞を受賞。1983年、「Mr.サマータイム」(サーカス)で、第20回『日本レコード大賞』最優秀編曲賞を受賞。同年、日本ジャズ界の最高位とされる『南里文雄賞』を受賞。2008年、『日本レコード大賞』にて功労賞を受賞。2015年、第6回『岩谷時子賞』にて特別賞を受賞。晩年は、荒川康男(Ba)、猪俣猛(Dr) とのピアノトリオ WE3とビッグコンボ 前田憲男とウインド・ブレーカーズを中心に活動。2003年からは大阪芸術大学音楽学科教授を務めていた。2018年6月29日には、東京シビックホールでの公演<昭和を彩る伝説のスターたちに捧ぐ~越路吹雪、岸洋子、ザ・ピーナッツ、そして山口百恵~>に出演。2018年11月25日、肺炎のため死去。享年83。