【インタビュー】観光大使がご案内!ご当地ソング・旅ガイド第1回「水森かおり」

水森かおり

日本各地の魅力を深く知る歌手の方に、その土地土地の魅力を語ってもらう新企画がスタート。記念すべき第一回は、水森かおりさんです。水森さんは、3月に発売された「水に咲く花・支笏湖へ」でご当地ソングの100曲目を記録。「NHK紅白歌合戦」では、15年連続でご当地ソングを披露しています。観光大使は20ヵ所以上も務めているという“ご当地ソングの女王”に、現在までの経緯や各地での思い出などを伺いました。

取材・文◎仲村 瞳

ターニングポイントは「東尋坊」歌の舞台の場所に立ち、覚悟が生まれる

ーー新曲の「水に咲く花・支笏湖へ」で、ご当地ソングが100曲目という偉業を成し遂げられていますが、もともとご当地ソングを歌われるきっかけは何だったのでしょうか?

よく聞かれることなのですが、たまたまそうなっただけなんです。ご当地ソングは、7枚目のシングルの「竜飛岬」(1999年)という津軽半島の竜飛岬を舞台とした曲から始まりました。その時は、たくさんある候補の中から、「これがいいんじゃないか」ということで決まっただけで、ご当地ソングを特に意識したわけではないんです。その次に出した8枚目のシングルも、たまたま、「尾道水道」(2000年)という広島のご当地ソングになって……。その次のシングルは、「心う・ら・は・ら」(2001年)で、土地を舞台にしたものではありません。そして、10枚目のシングルもたまたまご当地ソングになるんです。私が30歳になるということもあって、「崖っぷち」という意味も込めて「東尋坊」(2002年)になりました。作家の先生方からの「一本芯の通った演歌の世界を歌わせたい」という強い思いも通じて、お客様の反応もすごくよかったんです。業界の方々から、「紅白出場もあるのでは?」という声もあがってきました。結局は、出場できなかったのですが、「応援していただいた皆さんに恩返ししよう!」と、紅白出場に対する思いが強くなりました。そういった意味で、憧れを目標に変えてくれた曲でもあります。自分の人生にとってターニングポイントになりました。11枚目のシングル「鳥取砂丘」(2003年)で、紅白に出場することができたのも「東尋坊」の存在が大きいです。「東尋坊」を歌うことによって、「福井県三国町名誉会員」に選んでいただき、歌の舞台である東尋坊の崖っぷちで、町長さんに表彰されたんです。実際に歌の舞台に自分が立つことで、ご当地ソングを歌っていく覚悟のようなものが生まれました。

ーー鳥取砂丘へも行かれたのでしょうか?

「鳥取砂丘」を歌うことで、私にとって初めての大使である「鳥取砂丘観光大使」という肩書きをいただいたのでかなり行きましたね。「今年こそ『鳥取砂丘』で紅白に出場させてあげよう」と市民運動のような感じになったんです。まったく交流のなかった商店街同士が仲良くなったという話も聞きました。紅白に出たときも。“「鳥取砂丘」紅白おめでとう”という垂れ幕を出していただいたり、電車の発車ベルとして「鳥取砂丘」の音源を流していただいたりしました。あと、『水森かおりの鳥取砂丘弁当』とか、お酒やお菓子もできたんです。紅白に出場した翌年のゴールデンウィークには、鳥取砂丘のお土産屋さんが品切れになるほどのお客さんが来たんですって。歌の力のすごさを感じました。今でも、私が鳥取の出身だと思っている方も多いんですよ。「出身は東京です」って言うとびっくりされます。

水森かおり

ーーまさかの東京ですね。すごく意外な感じがします。

そうですよね! それもまさかの北区なんです(笑)。でも逆に、今は、東京生まれだから良かったなって思うんです。デビュー当時、東京出身の演歌歌手は絵にならないっていうようなことを言われました。演歌歌手といえば、両親や友達から離れて一人で東京で生活して、苦労して、故郷に錦を飾るっていうようなイメージがありますよね。だから「他の一人で頑張っている子達とスタートラインが全然違うから、それ以上に努力しないと駄目だぞ」といわれたりして……。でも、ご当地ソングに巡り合うことで、東京出身であることがプラスに働いたんです。海とか山とか、その景色を比べるものがないんですよ。どの舞台の景色も、「うわー綺麗だな」って素直に飛び込んできます。「うちの地元の海のほうが綺麗だな」とかそういうのがないんです。東京出身だからこそ、色んな舞台の景色が新鮮に見える。今では、東京生まれっていうことを誇りに思っています。北区のことももっとアピールしたい。北区長立候補しちゃおうかな(笑)。

ーー「北区アンバサダー」を務められているんですよね。

そうなんですよ! おかげ様で(笑)。歌の舞台ではないんですけど……。北区出身の芸能人の方って、結構いるんですよ。北区と言えば赤羽はすごくよく行っていたんですが、あんなディープなところだと思わなかった。自分が生まれたところでも、わかんないことって多いんだなって……。逆に、ご当地の歌の地元の皆さんもそういう風に思われるのかなって思ったりします。13枚目のシングル「五能線」(2005年)は、秋田と青森を結ぶローカル線を舞台にした曲なんですが、同じレコード会社の先輩の吉幾三さんが「かおり、五能線なんてあんな地味な路線よく目付けたな」って褒めてくださって(笑)。私が作ったんじゃないんですけど、すごい吉さんがびっくりされていました。キャンペーンで青森に行った時、若い女性が「うちの家の裏を五能線が走っているんですよ。学生時代に毎日乗って通っていたので、何とも思ったことがなかったんだけど、水森さんの五能線っていう歌を聴いた時に、私はなんて素敵な景色の中に生まれて育ったんだろうって、ふるさとの良さを再認識しました。ありがとうございました」って言われました。その言葉がすごく嬉しくて、ご当地ソングを歌う時に大事にしている言葉でもあるんです。それを取材やステージとか、色んなところで言っていたら、何年か後に「私です」って、「私の言葉をそんなに水森さんが感激してくれたなんて、ありがとうございました」ってまたそこでお礼を言われて、嬉しい再会をしました。

ーードラマがありますね。

そうなんですよ。ファンの方がアルバムの中の歌を市役所とかに直接、「水森さんが土地の歌を歌っていますよ」と伝えてくれて、公園や施設や船の中などで流してくださったりすることもあるんです。地元の方々も気が付いて自主的に流していただいたりしているようで嬉しいです。「鹿児島パラダイス」っていう歌は幼稚園や学校の運動会で子供たちが踊ったり、おじいちゃんやおばあちゃんたちが運動で使ってくれています。シングル曲じゃないのにみんなが知っていて、私の知らないところでみなさんの思い出の曲になるって、すごいことだなあ、って思いますよね。

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